①早慶戦は残念でした。
2試合も観てしまいました。
同期が最後のバッターでした。
出てた人も出てなかった人も、おつかれさんの一言しかないです。
あと、教えた子が試合に出てるのは嬉しいですね。
②マスコミゆうちゃんひいきしすぎです。
③母校が甲子園をぐっと近づけたやうです。
不祥事を起こさず、高野連がイジワルしなければ、ほぼ確実です。
まだまだ知ってる選手ばかりだし嬉しいですね。
雨で流れなければ、観にいけたのになー。
④9、10月と飲酒トレーニングの不足が噂されていました。
Aかまつ家NY飲酒大会2007に向けて、
ここ3日ほど酒に浸り、体を仕上げていますが、
弱体化を感じます。
⑤金曜日から年末まで、
11月10~12日だけ野暮用で日本に1度帰国しておりますが、
基本的に音信普通になります。
最終目的地は、自分の体力気力精神力次第では、印度などを検討しております。
何かご用ある方は、木曜までに携帯か、あとはPCのメールまでご連絡ください。
お昼のニュースです。
日本シリーズを1週間前を前に控えた、エンドウズの大黒柱
IC-Recorder(SON○製)ICC-SX77が、
市ヶ谷にある某オフィスのトイレの渦に巻き込まれました。
調べによると、
誰よりも早く落下を認識した指揮官は、
秒速340mで聴覚へ迫ってくるポシャンという「音」よりも早く救出したものの、
彼は既に0.5秒ほどの浸水によって既に息をひきとっていた模様です。
5ヶ月あまりの短い生涯と、あまりの急なできごとに当人はショックを隠せず、
報道陣を全てシャットアウトして、密葬が執り行われている模様ですが、
親しい関係者から、
「彼はそのときパート2のショートパッセージを聞いていたらしい。
原因は、フレッドペリーのジャージ、右腹部にある浅いポケットにICレコーダーを入れていたのが原因だ。」
との証言が得られています。
事件の波紋は広がっています。
「日本シリーズ前を前に、頼りにしていたエースの死は大きい。
しかし、戦いのさなかで、戦場で命を落としたこと、それは彼にとって本望じゃないか」
と、チームメイトのA氏。
また、監督のコメント。
「彼の死は早すぎるが、しかし彼は我々に多くのものを遺してくれた。
我々は残された戦力でやっていくしかない。
彼のためにも優勝しようじゃないか。」
しかし一方で、海の向こうの某ジャーナリストは次のように述べています。
「そもそもトイレでリスニングする必要はないだろう」
もう、あの類稀なリピート機能をお目にかかることはありません。
1.5倍速も聞けません。
しかし、エンドウズは悲しみに暮れる間もなく、活動を再開しました。
急遽二軍からウォークマンを昇格させることで、先発不足を補うようです。
滝川クリステルが、ドバイにいる中田にインタビューする番組、見た人いるでしょうか。
サッカー選手としての彼のことはサッカー音痴な僕にはよくわからないのですが、
サッカーだけじゃいかん!と、常に人として視野を広げようとする彼の姿勢、
さらには世界を旅していろいろ見てみたいと渇望する気持ちには、
非常に見習うものがある、または共感する部分があるなと、
以前から町田市の一室より密かに熱い視線を注いでおりました。
・・・・・まあ、片田舎の一視聴者が、真夜中にまた戯言を、と、聞き流していただいて結構です。
話を戻します。
それにしても、先日の8chの報道番組の枠を使ったと思われるインタビューは
クオリティの低さに愕然とさせられました。
結婚は?とか、嫌いな食べ物は?とか。
ワイドショーレベルの愚の骨頂的な質問のオンパレード。
リアルタイムで旅をし、ビジネスマンとして、ファッションリーダーとして世界で活動している彼をわざわざ呼びつけておきながら、
なぜその活動を掘り下げる問いが投げられないのか、甚だ疑問でした。
ただ、そんな方々の愚かな質問のお陰で、一個だけキラリ光る情報を得られました。
「海外の番組(CNN)には露出されてるのに、日本のマスコミには露出されないんですね」
んな感じの主旨の問いかけと、それを示すCNN特番の切り抜き映像。
それをふと思い出して、先ほど検索したら、出てきました。
http://search.cnn.com/search?type=video&sortBy=date&intl=true&query=nakata
Revealedという番組です。
インタビューシーンと映像&ナレーションの切り替えのテンポ、番組内での起承転結具合など、
アメリカの番組って、映像転換がうまい気がしました。
クオリティ高いのだと思います。
まあ、それ以上に、だ。
なかたかっけー。かっこよすぎる。
まあ、なかたがやってるから絵になるんだろうな。。。。。
カリスマだ。
ひとまず形から入るために、彼を見習ってサングラス100個くらい揃えてみようか・・・・。
多分、履き方を誤った。
少なくとも二束目をはいていない自分も今考えると愚の骨頂みたいな人間になってただろうし、
結果的に得たものは多々あったのだが。。。。
また一方で、ああいう状況に置かれて初めて気付いたことが多々あった。
どっちかに専念したらどれだけ楽ですっきりするかと1万回くらい考えたが、
自分の選択だったし、
誰にも話す気もならず、話してもグチにしかならないと思い、できる限り控えてきたつもりだった。
話しても、それほどの共感を得られたこともなかった。
そりゃそうだ、
自分と立場が違うのだし。
が、昨日の後輩の話を聞いていて、ふとそういう時間が甦ってきて、いろいろと思うことを話し合った。
結局、同じような立場を共にしないと共感し得ないのだろうと思う。
何とかして自分で肯定的に消化するしかないのだと思う。
にしても去年はほんとに、実際痩せたし、すり減ってたなーと。
忙しすぎてオーバーワークで死にかけていました。
んで、あのまま就活とかいって、せわしなさすぎました。
やっぱり今年留年してよかたです。神様のごほうびですね。
うちのせんせの記事が朝日新聞に出とった。
プラスチックゴミについて。
やっぱりすごいのですねぇ。
TOEIC試験を受けてきた。
750なんてとんでもねぇぞ、まずい、と思いました。
なかなか簡単に点数は上がらないようです。。
試験会場が、僕が幼少期を過ごした敷地だった。
もう何年も足を踏み入れていなかったので、感傷的な気分になり、学園内を散歩してしまった。
うーんじじくさい。
変わらぬ風景が残る一方で、小学部の横の山が削られて幼稚部が移転していたりと、
時の流れを感じた。
恐らく日本一牧歌的な環境と雰囲気を持った学校であるが、
今いる学校以上に、僕の土台をつくった学校だったと感じる。
授業を急につぶして、隣のクラスとピクニックめいたことをして山の中で缶ケリをした。
その横で草花の名前を教える先生がいた。
みんな思い思いに遊んでいた気がする。
日記100枚書いたら製本してくれる先生のときは競って日記を書いたり、
休み時間に柔軟体操をする先生がいたり(のお陰か、体はめちゃくちゃ柔軟である。)
大縄跳びや縄跳びなど各種大会には先生はみんな異常にアツかったし、
歌に異常な熱心だったから、6年生の時は1日の半分くらいハレルヤの練習をしてた気がする。
小3のとき、ドッジボール大会で味方のふがいなさにふて腐れていたら、
試合後に物陰に連れて行かれて、胸倉をつかまれて引っぱたかれて、
おまえがそんなんでどうする!と泣かされたのは今でも強烈に覚えている。
どこか自由でのどかな一方で、何でも全力でやるべきだし、その方が面白い。
そんなことを教えてくれた学校だったと思う。
・・・まあ、過去の思い出の羅列だが、
大1のときに小学校時代の思い出のまま同窓会をしたら、
当時とのあまりのギャップに凹んだのも覚えている。
ドロップアウトしている人数の多さに驚いたし、
時間が、人を変えてしまうと感じた。
何より、2年半前、人生追い込まれて麻薬に手を出して自殺した友達がいた。
5年間同じクラスでよくケンカしたことがあったので、あれはショックだった。
先日友人と話して共通見解を得たことの1つに、
新しい人との出会いは楽しいが、
昔から変わらないスタンスを維持した友人もまた減っていく一方だ、
という点一致した。
自分たちが変わったのか、向こうが変わったかは定かでない。
1ヶ月間、毎日じっと椅子に座り、もんもんと英語をやろうとする時間の中で、
副次的に次から次へといろいろなことが浮かび上がってくる。
考えることが山積みだ。
Powered by "Samurai Factory"