うちのせんせの記事が朝日新聞に出とった。
プラスチックゴミについて。
やっぱりすごいのですねぇ。
TOEIC試験を受けてきた。
750なんてとんでもねぇぞ、まずい、と思いました。
なかなか簡単に点数は上がらないようです。。
試験会場が、僕が幼少期を過ごした敷地だった。
もう何年も足を踏み入れていなかったので、感傷的な気分になり、学園内を散歩してしまった。
うーんじじくさい。
変わらぬ風景が残る一方で、小学部の横の山が削られて幼稚部が移転していたりと、
時の流れを感じた。
恐らく日本一牧歌的な環境と雰囲気を持った学校であるが、
今いる学校以上に、僕の土台をつくった学校だったと感じる。
授業を急につぶして、隣のクラスとピクニックめいたことをして山の中で缶ケリをした。
その横で草花の名前を教える先生がいた。
みんな思い思いに遊んでいた気がする。
日記100枚書いたら製本してくれる先生のときは競って日記を書いたり、
休み時間に柔軟体操をする先生がいたり(のお陰か、体はめちゃくちゃ柔軟である。)
大縄跳びや縄跳びなど各種大会には先生はみんな異常にアツかったし、
歌に異常な熱心だったから、6年生の時は1日の半分くらいハレルヤの練習をしてた気がする。
小3のとき、ドッジボール大会で味方のふがいなさにふて腐れていたら、
試合後に物陰に連れて行かれて、胸倉をつかまれて引っぱたかれて、
おまえがそんなんでどうする!と泣かされたのは今でも強烈に覚えている。
どこか自由でのどかな一方で、何でも全力でやるべきだし、その方が面白い。
そんなことを教えてくれた学校だったと思う。
・・・まあ、過去の思い出の羅列だが、
大1のときに小学校時代の思い出のまま同窓会をしたら、
当時とのあまりのギャップに凹んだのも覚えている。
ドロップアウトしている人数の多さに驚いたし、
時間が、人を変えてしまうと感じた。
何より、2年半前、人生追い込まれて麻薬に手を出して自殺した友達がいた。
5年間同じクラスでよくケンカしたことがあったので、あれはショックだった。
先日友人と話して共通見解を得たことの1つに、
新しい人との出会いは楽しいが、
昔から変わらないスタンスを維持した友人もまた減っていく一方だ、
という点一致した。
自分たちが変わったのか、向こうが変わったかは定かでない。
1ヶ月間、毎日じっと椅子に座り、もんもんと英語をやろうとする時間の中で、
副次的に次から次へといろいろなことが浮かび上がってくる。
考えることが山積みだ。
私はずっと玉川だからそこまで変わったって実感がないんだよね。
良い意味で皆の成長を見たり聞いたりする事は嬉しいんだけど。
最近、周りの変化についていけてない気がする・・・
逆にいつまでも変わらない友人を見ると安心する一方で、成長してないなぁっていらいらしちゃうんだ。
まぁ、マイペースでいいんじゃないかな?笑
おれも結局マイペースなので。
ただ、外の学校に出て、玉川ってのんびりしたとこやなーと思ったのは実際あるね。それに、どちらの学校にせよ、経済的には相当恵まれた人たちの集まりなのだろうと思う。
あと、ディテールはいいとして、ベースにあるものが昔と大筋変わらない友人って、大事だと思う。
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