就活が終わって気がつけば1か月が過ぎた。
関西の一人旅も含め、
今日もそうだし、関西旅行では東京を離れた友人、また東京近辺で働く友人と会って飲んだり、
来年からの会社の同期と交流したり、
そして初めて叔父とサシ飲みしたり。
ぬるかったり、意義の希薄な研修にやる気をそがれている人もいたが、
既に仕事をしているという人になればなるに比例して、何か気迫のようなものを感じる。
お金を払って通っていた学生から、お金をもらって付加価値を生みだす社会人とは根本的に構造が異なる。
極端な話、食うか食われるかの世界に放り込まれてもがくということが、
疲労の対価として、人を成長させてくれるのだと思う。
それは高校野球で学んできた本質となんら変わりない。
何か不思議な感じだが、就活が終わってみて、何かしら空虚な気分になった。
喜びとか、やる気とか、お祭り騒ぎのような気分になるかと思ったが、全く逆な気がする。
自分の進む道が決まったことで、ある程度近い将来の人生像が決まってくる。
極端にいうと人生の選択肢が減るということ。
はっきりいって、1つ重要な点で、腹をくくったこともある。
何の不満もないが、どこか違うステージに入りつつある気がする。
いいスタートをきれるようにと、何か、目先のことを見ながら、あれもこれもと、
打算的に10か月をどう割り振りするかということを考えてしまうが、
その打算、我に返ると、非常に面白くない。
仕事がはじまればどうせみな似たような暮らしになる。
付け焼刃の小知恵を今、ぬるま湯の学生気分でこなすよりも、
そのスピードは、社会人になってから危機感に煽られ、ケツに火がつく状態の方が、おそらく早い、
と思うようになった。
だから、それらは最低限、むしろ、せっかくだからできる限り攻めに転じてしまうかと。
学生だから、できる10か月にしようということ。
昨年1年間のブランクはプラスに転じたというこの上ない確信がもてたが、
今年も残りをプラスに転じさせたい。
坂の上の雲を読んでいて、戦術の話が出てくる。
各所で印象に残っているのは、
弱者が強者にかつには、限られた兵卒を、こまめに散らしたり、小出しにするのでなく、
一点突破をはかるとか、
奇襲を仕掛けるとか、
要するにそういう思い切りと、果断な一歩に勝機があるということ。
時間も小出しにするのでなく、
行動も小出しでなく、
どかんとやるか。
まあ、いつもエンジン全開も疲れてしまいますが、
いつもエンジンがかかっているなと傍から思われるような知的好奇心旺盛な商社マンになりたいですね。
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